ゲームと水中

いつものように詩を書いてる。いつものように詩を書いてると、必ず海が出てきて、海でなくても、湖とか水辺とか水槽とか浴槽とかプールとか、そういう水がかたまりであるタイプのが出てきて、さっき、休憩しながらiTunesゲーム音楽を流してて、あールーツこれだなーって気付いて、思えばゲームではいつも海面(うみめん、水中面)が好きだったなーって。

幼稚園の頃、たぶん3歳とか4歳とかの頃、スーファミを買ってもらって、はじめて遊んだゲームがスーパードンキーコングだった。1-4が水中ステージで、緑とピンクの色のピラニアが泳いでて、苔まみれの岩のヒダヒダとか、背景になってる砂地の奥行きのなさとか、気味悪いし、突然まだら模様のタコが回転しながら襲ってきたり、ヤンキーみたいな顔のサメが行く手を阻んできたりして、当事すごい恐怖を感じてた。恐怖だったんだけど、そのステージのBGMがよくって、つり橋効果かわかんないけど、確実にときめいてもいた。たぶんこれが最初というか、原始の海というか。もちろんスーパードンキーコング2もねだって買ってもらってプレイして、これは敵が海賊ってのもあって海面が多くてしかも難しくて、沈没してる船のステージとかもろに死のイメージに直結してて、窒息しそうになりながらプレイしてた。ロックジョーっていう赤い魚の攻撃がトラウマになるくらい怖かった。
小学校に入って近所の兄ちゃんにドラクエ3を貸してもらってからRPGにもハマった。ドラクエ6はテーマが重くて、行く当てのない旅みたいな雰囲気があって、ミレーユと出会うサンマリーノの船着場で船の曲がかかるんだけど、暗くて好きだった。「エーゲ海に船出して」っていうタイトル。はじめて自分のお小遣いで買ったCDがドラクエ6の交響組曲だった。ドラクエ7(中々同意を得られることがないのだけどドラクエでは7がいちばん好き)は、プロローグも漁師の村から始まるし、主人公が水神の末裔という設定も魅力的で、もう覚えてないくらい周回プレイしたけど、ダーマ神殿に行って転職できるようになったら必ず主人公は真っ先に船乗りにして、盗賊にして、海賊にさせてた。コーラルレインとかメイルストロームとか今考えるとドラクエっぽくない呪文だけど、水を操るのはかっこいいことだと思ってた。最初は主人公たちの住む島しかこの世界にはなくて、海の向こうには何もない、ってのにもどきどきしてた。
FFだと5の序盤で流れ着く船の墓場が物凄く怖くて、シルドラ死んじゃったし、アンデットモンスターうようよしてるし、ボスのセイレーンとかゾンビみたいで完全にエログロだし、BGMの「呪いの地」も、ダンダン、ダンダン、っていうドラムの音が印象的で、海で死んだ人間たちが跳梁跋扈してる音だと思ってた。それからFF10ブリッツボールっていうミニゲームにアホほど熱中して、プールでサッカーみたいなことやる水球的な競技なんだけど、たぶんFF10でいちばん長い間聴いてたBGMは「Blitz Off」だと思う、丸一日やってることとかあった、ぜんぜん飽きなかった。
アクションゲーだと、マリオ64のみずびたシティが印象に残ってる。もうステージ名からして好きだし、水没した四角いポリゴンの無機質な街にたまらなく興奮した。あとはメタルギアソリッド3のむちゃくちゃ強いワニがいる沼とか、水中で繋がってる洞窟とか、ザ・ソローと戦うときの延々と続く河とかも好きだった。
あんまり関係はないけどポケモンも水タイプがいちばん好き。ルビーサファイアでダイビングできるのすごい楽しかった。ヌマクローかわいい。ラグラージはきもくないよ。

実際の出身地もわりと海の側といえば海の側なんだけど、特別海によく行ったとか小さい頃から泳ぐのが好きだったとかでもなく(プールには3年間くらい通ったけど上級クラスになってから急にしんどくなってやめた)、にも関わらず海とか水中が好きなのはゲームの影響なんだろうな。ていうかこのブログのタイトル、ぱっと思いつたのをそのまま採用したんだけどやっぱ趣味丸出しだ、わかりやすい。

まがいものの温度

クラブ帰りの渋谷でサンプリングされ尽くした女子高生の残骸を打ち落としてく縦シューでボム抱え落ちして、デスルーラで飛んだ先がベルベットルームでもマサラタウンでもなくボロアパートの自室、いしのなかにいる、電気スタンドも襲ってこない、朝に録画したプリキュアみながら月曜日にイオナズン、ただしMPも足りないしイケメンでもないし反確、勝てない、負けイベ、硬直フレームを数えて眠る、なにも回復してない朝、大手町で半蔵門線に乗り換えて、神保町で乗ってきた文系女子をさして見定める間もなく九段下で降りる、坂の上で等間隔に立ち並んでるチケットゆずってください女たちを、リズムよくジャンプしてふみつけてゴールフラッグを目指す、コインが百枚集まって、もうひとりの自分と交換される、コンゴトモヨロシク、オレサマオマエマルカジリ、ペルソナ使いだらけの学校、チャイムが鳴ると影時間、ノート開いてヤンマガ読みながらまわってきたプリントを折る、ネームエントリー、ランカーはここで頭角を現す、授業を抜け出すためにダンボール被って匍匐前進していたら余計に目立ってまた瀕死、大佐が遠くでテスト範囲を叫んでる、学食に並んでいるやつらはクイックセーブが使えるんだろう、スマホのフラグ管理アプリを眺めるのが日課リア充ツイッターリア充を爆発させる、そうでないやつらは何らかの黒魔法を特技にしている、おれはまだ本気を出していないだけ、とっくにキャラオーバーしてる東京にビームを放てばUFOエンドくらい迎えられる、帰りはポケセン寄ってゲーセン寄って千代田線、当たり判定をひた隠しにしてる高校生、ステルス迷彩を着込んだ会社員、握り締めた鉄パイプを引きずる音に誰も気付かない、家に着くとラジオが鳴ってる、雨が降ってる、マヨナカテレビにはゾンビのような自分が映る、アレイズで死ぬタイプ、主人公を演じすぎてしまったプレイヤーキラー、画面に触れても冷たいだけ、夜明け前までビートマニアして、魔法剣二刀流せつなさみだれうち、うしろのかべがしまりました、ぼうけんのしょはきえてしまいました、パラメディックにコール、HPゲージが赤い

名前について

ネットをはじめたての頃、当事飼っていた犬の名前をハンドルネームにしてて、現代詩フォーラムにも最初はそれで登録してたんだけど、犬はメスだったから女の子に間違われることが多くて、それにもっと人間っぽいというか詩人の筆名っぽい名前にした方がいいと思って語感と字面重視の苗字プラス本名にしてたんだけど、ある日突然、魚屋スイソになってしまった。その理由。

現代詩フォーラムにはリアルタイム会議室っていうチャット機能があって、昔よく出入りしてたんだけど、FFのポーションが飲料としてコンビニで発売したときに当事FF厨だったおれはそれを買い占めてて毎日のように飲んでて、そのことを話したらあだ名がポーションになって、そこから次第に飲み物とかドリンクとか飲料水とか呼ばれるようになって、青色三号とか少し面白い発想もあっただろうに、いつのまにかただの水になって、ついには最小単位である元素にまで達してしまったのが、スイソの由来。

苗字については、ミクシーの完全自殺マニュアルのコミュでオフ会()やろうぜってなったときに、みんな甘栗とかうさぎとか髭とかミルキーとかすっげー適当な名前で、自分も空気読んでそういうのにしておこうと思って、そのとき書いてた文章がたまたま魚屋の話だったから、とりあえずサカナって名乗ったのが最初。だからべつに実家が魚屋ってわけでも、泳ぎがやべえ上手いってわけでもない。魚介類むっちゃ詳しいってわけでもないし頭に乗ってる魚が本体というわけでもないからさん付けしなくても大丈夫。体臭がなまぐさいとか磯の香りするとかいうわけでもない、はず。水族館や寿司屋は好き。

で、しばらく凍結させてた現フォでの活動を再開するときに、エロ漫画家みたいな意味不明で馬鹿っぽい(褒めてる)名前がいいなって考えた結果、上記ふたつを合体させて、練れば練るほど色が変わって、こうやってつけて、ウマイ!テーレッテレー!

ちなみにこのブログタイトルは3秒くらいで思いついたもので意味は特にない。ブログ設定いじってるとき、水びたしマシンでもいいなってちょっとだけ悩んだけどダサいからやめた。

煙草について

なぜいきなり嫌煙厨がファビョって今後のアクセス数にも影響しそうな記事を書こうかと思ったかというと、おれは煙草を吸っていて、周りの友人にも愛煙家が多く(愛煙家というと自宅に黒猫を飼ってフカフカでツヤツヤの椅子に座ってジャズのレコードをかけながら一服している、みたいなイメージがあるから、ジャンキーというルビを振りたい)、自分の書く文章や好む表象物にも煙草が多く登場し、煙草の役割について考えることがあり、それをまとめておきたいと思ったからである。以前にも書いていたのだけどブログを新設したので景気付けに再掲載。元のものよりかなり編集を加えてある。
ちなみにおれは中学生の頃(生徒会長職に就きながら不登校をキメ込むほどの優良児だった頃)、仲のよかった友達が男子トイレで煙草を吸っていたのを知った日の夜涙がとまらなくなるくらい煙草が嫌いで、一生吸うものか、煙草一箱買うお金があれば文庫本買えんじゃん、とか思ってたのだけど、いまは、つい最近発売したハイライトのイナズマメンソールをガンガン吸ってる。イナズマという馬鹿っぽい名前がとても気に入ってる。マルボロのアイスミントやセーラムのアラスカメンソールを吸っていたこともあった。

本題、自分の書く詩や小説にはよく煙草(を吸う人物)が登場する、それにはいくつか理由があって、まず煙というモチーフの面白さってのがあるんだけど、白くて、不安定で、ゆらゆらたちのぼって、いつのまにか消える、ものが燃えることによってうまれるっていう、ちょっと死んじゃいそうなっていうかもう死んでるイメージ、要は火葬場の煙、舞城王太郎の『煙か土か食い物』の煙、自分の書く話の人間たちはだいたい死ぬか殺されるかそれに近い常態にある/向かうのでちょうどいいし、甘ったれたことをいうと使いやすいし、そしてかっこうがつくし。で、つぎが重要、煙草を吸うというキャラクター性、小説や映画で煙草を吸うやつってどんなのだろう、DQN、ビッチ、やーさん、刑事、ギャング、浮浪者、労働者(っていうかいかにもはいはいおれはルンプロってますよって言いたそうなひと)、中高生(でなくても大人の階段のぼれてないひと)、まあいろいろいるだろうけど、たぶんだいたいみんなやさぐれて悩んでるか疲れてるか歯向かってる、決め込むわけじゃないけど、イメージとして。
たとえば映画で「おれは希望に満ちてるぜ、元気だから懸垂とかするぜ」ってひとはふつう煙草吸ってない、吸ってるかもしれないけど、吸ってるシーンを監督は撮ろうとしない、必要ないから、キャラクターにそぐわないから。
つまり物語において煙草を吸うっていうのは一種の個性になり得る、しかも、その人物が吸ってる銘柄によって、さらに言うならば火をつけるために使っているのがマッチかジッポかライターかによっても、そいつの性格がわかるくらい、たとえばショッピ吸ってるやつは頑固、セッタはヤンキー、ハイライトは遊び人、マッチだったら経験地高そうだしジッポだったらハードボイルド、とか、これはあくまでもおれの主観だけど、そういう作者や監督や読者や客個人の主観として、人物に個性を付与することのできてるアイテムであると言える。
画面効果としても優秀で、人物の、どちらかというとマイナス寄りの思考、焦り、やりきれなさ、時には殺意のような黒い感情を、煙草を吸うという行為によって表すことができる。煙草を咥え、少し俯き火をつけ、深い呼吸をするように煙を吐き出す、この一連の所作はシーンに間を設け、前場面の熱を鎮静させ、これから起こる出来事の、少し不穏な前触れを感じさせる。ジョジョの第二部では「リサリサ先生、たばこ逆さだぜ」という名言も生まれている。型には嵌っていないが、これは前述の効果が前提としてあるからこそ引き立つ台詞だろう。

これを踏まえた上で、おれが煙草を好む理由がもう一つある。上記にもあるように、煙草には効果的な役割があった。文学にはつき物だったし、ロックやパンクにも必須だった。かっこつけるアイテムといえば煙草だった。一昔前の映画をみてると女医さんとか知識人とかモラトリアムきもちいいぜ大学生とかマジこれ見よがしに吸ってる。けどそれがあまりに流行しすぎた挙句、煙草は単なるイケメンアイテムになってしまい、逆に没個性になってしまった。正直それくらい喫煙家が市民権を得ている世の中だったら、外出時に喫煙所や喫煙可の文字を必死に探さなくてもいいし、ネットで叩かれることもないだろうから、羨ましいと思わないこともないなのだけど、中二病のおれとしては小説や映画でイケメンアイテム見せびらかされても面白くない。が、時代が来た。嫌煙ブームである、ここ数年で一気に映画で煙草吸ってるイケメンがいなくなった、むしろイケメンは煙草吸わないっていうね、これだ、いまこそ本来の、やさぐれ悩み疲れ歯向かい、中二病をこじらせた文学青年やパンクロッカーのための煙草復興のときだ、と思った。とりあえずおれも吸おう、おれの書く話に出てくるやつにも吸わせよう、なんか死んじゃうか殺しちゃうかしそうなやさぐれ悩み疲れ歯向かってる中二野郎にかっこつけさせよう、という次第、わろす。

追記、本日5月31日は世界禁煙デーらしい。ツイッターのトレンドで知った。そういえば駅前の喫煙所が撤去されたのも2年前の今日だったような。わりと禁煙は得意、今日は思い切って40回くらいする予定。

エンベロープフィッシュ

A
テクスチャの、繋ぎ目を剥き出しにした、実態のない部屋の、ディスプレイの顔の、スノーノイズの、手術台の上の、水性マシン、固形深海、投棄されたインスタント酸素チップ、女は処刑装置に閉じ込められ、黒い端子を膣に繋げられ、回転しながら、レーザーを発射し、全身の血を抜く音で絶頂を迎え、レーザー、青いレーザー、一種の生物発光に照らされた、箱型の深海は胎動し、破水し、

D
病棟は、金属の擦れる音と、それに呼応する狂人の声に包まれる、コンソールのダイアルをまわす、映写機がまわる、四つ打ちされた少女、サンプリングされた少女、スクリーン、冷たいパルスの、魚の歯の、

S
ゾンビロイドが開発され、穏やかな順応の後、人間との共存に成功したが、アンドロイドのゾンビなのか、ゾンビのアンドロイドなのかは、まだわかっていない、喰うのは生物ではなく、生物によって保存された生物の媒体、しかしコーデックが無いため、テキストに限られ、これによって詩人は一時の絶滅を免れたが、次第にネットは文字情報で溢れ、文字写真家、文字音楽家、文字映像家が誕生し、蔓延し、プロトタイプの有志は集団でコールドスリープし、奥歯に毒を仕込んだ古典派は、政令指定廃墟でのみ活動を許されている、

R
という、科学小説のページを、一枚ずつ破り、巻き煙草にし、火をつけ、レーザーに絡みつく煙が、夢を見るように、波を描くのを、うねるのを、フロアの影の、プールの底の、ソナー、フィルター、魚の尾、

ゾンビポップ

「もしあたしがゾンビになったらどうする」
「うっかりちんこから食ってもらう、じゃあもしおれがゾンビになったら」
「ぶち殺す」

おまえの人生テクノポップ!おまえの人生チルアウト!おまえの人生ドラムンベース!おまえの人生ハードコア!ってののしりながら、蛍光色の内臓みたいなのがついたでかい水鉄砲でメロンソーダ撃ちあってギャングごっこする動画を撮ってアップロードしたら、数日で権利者とやらに削除された、うしろで流してたレザボア・ドッグスのオープニングがアウトだったらしい、権利者ってだれだ、ミスター・ブロンドか、ごりっごりの電子音でダンスしながら拷問するのか、煙草がなくなったから買ってきてくれよ、あとガリガリ君以外のアイス、なあ、きこえてる、おまえがいまお洒落なエレクトロニカかなにかと勘違いしてヘッドフォンできいてるそのトラック、おまえの喘ぎ声のリミックスだから、ついでにおれの罵倒文句も足してあるけど、おい、きこえてるのか、応答しろスネーク、権利者ってだれだよ、箱男に出てくる女教師か、ドアの向こうでピアノの鍵盤に股間こすりつけてるのか、貝殻草スニッフしたらおれも溺死する夢みれるかな、こないだのおまえのオバンバのコスプレ似あってたよ、今度おれタール・マンやるよ、墓地でセックスしようぜ、バタイユの小説みたいにさ、舞城は人間が死んだら煙か土か食い物になるって言ってるけど、ゾンビはどれに分類されるんだろうな、はやくコンビニ行ってこいよ、パンツ見えてるよ、おれは死んだらどれになれるんだろう、死はけっこうシリアスにやってくるかもしれないけど、シリアスに死ぬとおもってるやつはばかだ、クサレ脳みそだ、大真面目に死にたいとおもってるやつはいますぐ死ね、べつにたいしたことじゃない、口にできる時点で死は喜劇名詞なんだよ、いくら死にたいって言っても言われても死ぬことや死なれることを体験できるわけがないんだよ、それはフィクションだ、恋人が死んで後追い自殺なんて最高にハッピーエンドじゃないか、こないだガリガリ君のアタリが出るまで食べ続けたら凍死しかけた話ってもうしたっけ

「煙草買ってきたよ、ジャンプとヤンマガとスピリッツも」
「いいから脱げよ」
「いま生理中」

おまえのゲロ吐く前後の顔がすき、もうすぐ夜が明ける、どっちがさきにゾンビになるか勝負な

書きなぐり初め

昼間から友達とスカイプで喋ってて、彼は詩をかくひとで、おれの詩のことをなぜかよく褒めてくれて、とりとめもない日々の考えを書きなぐるブログをつくるといいと唆され、読みたいと言われ、ややハイになり、つい作成。どちらかが女だったら危なかっただろうなとときどき思う。性格的にはかなり違うタイプの人間なんだろうけど、性質が似ているというか、RPGのキャラでいうと役割は近いのだけど思考ルーチンが違っているからパーティを組んでも問題ない程度には相違があって、話していると楽しい。映画撮ろうとかバンド組もうとか、世界に影響力のあるアーティストランキングに載ろうとか、平気で、それも大真面目に言い合える相手で、おそらく一生こういう関係が続く気がする。彼のどこが好きかというと、ラッキーストライクを吸っているところと、トム・ヨークに憧れているところと、それが似合っているところと、バイオハザードサイレントヒルのゾンビの違いについて身振り手振り説明できるところと、イギリスのBBC局のニュースキャスターのモノマネがうまいところと、洋画に出てきたら主人公に麻薬を唆してラリった顔で笑いながら歌いはじめ次の日の朝突然死してそうなところと、詩を書くことをとても体に悪いことだと言いながら詩を書いているところと、これ以上挙げるとホモ疑惑が沸きそうなのでやめておくが、彼もおれのことが好きと公言しているので、腐った考えをお持ちの女性の方は燃料にしてみてもいいかもしれない。そしてこのブログと彼のブログのアクセスカウンタを回し、詩を読んでもらえると光栄。もちろんそうでないひとの方が大半だろうし、そうでない記事を中心に書きなぐっていく予定にしている。なんだか書き出しと随分テンションが違うなあ、不安だ。